amazon アマゾン TIMELINE
  • 1971年
  • スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックが出会う

    1971年の夏、当時16歳のスティーブ・ジョブズと当時21歳のスティーブ・ウォズニアックは共通の友人ビル・フェルナンデスの紹介で知り合い、友人となる。ウォズニアックが雑誌記事を参考にオリジナルのブルーボックスを自作し、ジョブズが学生などを相手にそれを売り回った。
    スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックが出会う
  • ジョブズはリード大学を中退

    1975年までに、ジョブズはリード大学を中退。必修授業に出る必要がなくなったジョブズは、自分の興味のある授業に潜り込むようになる。中退してから興味を持つようになったものが彼の原点となった。リード大では当時、全米で優れたカリグラフの講義を受ける。キャンパス中に貼られているポスターや棚のラベルは手書きの美しいカリグラフで彩られていた。ひげ飾り文字を学び、文字を組み合わせた場合のスペースのあけ方も勉強し、何がカリグラフを美しく見せる秘訣なのか会得しました。科学ではとらえきれない伝統的で芸術的な文字の世界のとりこになったのです。もちろん当時は、これがいずれ何かの役に立つとは考えもしなかった。ところが1...
    ジョブズはリード大学を中退
    ブルーボックスは、電話回線を不正利用して無料での長距離電話を可能にする機械。ウォズニアックが1970年代初頭に製作したブルーボックスは、ジョブズとウォズニアックのビジネスの原点となる。ウォズニアックが雑誌記事を参考にオリジナルのブルーボックスを自作し、ジョブズが学生などを相手にそれを売り回り、最終的に200台余りのブルーボックスが販売され、ジョブズとウォズニアックは大きな利益を上げたが、あるとき銃で脅されブルーボックスを奪われたことがきっかけとなり、身の危険を感じた2人は販売を止めた。ある日、ウォズニアック氏とジョブズ氏は、ブルーボックスを使ってバチカンに電話をかけ、アメリカ国務長官を語って「...
  • 1976年
  • 1976年3月1日までに、ウォズニアックはプロセッサとして安価なMOS 6502を使用し、外部ディスプレイとしてテレビを、入力機器としてキーボードをつなぐことができる自作のマイクロコンピュータを完成させた。ウォズニアックは、のちに「Apple I」と命名されるこのマシンをHCCの会合に持ち込んで披露し、大きな反響を得た。ウォズニアック自身はApple Iの回路図を無料で配布することを望んでいたが、ジョブズはこのコンピュータの商業的可能性に興味を抱き、Apple Iの組み立てに必要なプリント配線板を製造販売するビジネスを2人で始めるべきだと訴えた。
    AppleI販売
    AppleI販売
    AppleI販売
  • アップルコンピュータ・カンパニー(AppleComputerCompany)を創業

    1976年4月1日、ジョブズとウォズニアックにロナルド・ウェインを加えた3人は、共同で「アップルコンピュータ・カンパニー (Apple Computer Company)」を創業し、カリフォルニア州のビジネス・パートナーシップとして登録した。アタリで主任製図工として働いていたウェインは、職場で出会ったジョブズと意気投合し、10パーセントの株式を持つという条件でジョブズに誘われ、アップルの創業に参画した。ジョブズとウォズニアックはそれぞれ45パーセントの株式を所持することとなり、2人の意見が対立した場合には、残りの株式を持つウェインがどちらかの側に付き、膠着状態を打開することが期待されていた。ウ...
    アップルコンピュータ・カンパニー(AppleComputerCompany)を創業
  • アップル社名の由来

    ジョブズは「アップルコンピュータ」という社名の由来について、当時の自分は果実食主義を実践しており、またリンゴ園から帰ってきた直後だったこともあってこの名前を思いつき、その響きが「楽しげで、元気がよく、威圧感もない」と考え、「その上、電話帳でアタリより上に来る名前でもあった」ので採用にしたのだと語っている。ウォズニアックは、この名前はオレゴン州の農場「オールワン・ファーム」への旅行から戻ってきたジョブズが、空港からの帰りの車内で不意に提案したもので真意は不明だとした上で、「彼は音楽好きであったので、アップル・レコード(ビートルズのレコードレーベルとして有名)から思いついたのかもしれない」とコメン...
    アップル社名の由来
  • 創業者の1人である、ロナルド・ウェインがアップルを去る

    創業者の1人であったウェインは、創業からわずか12日でAppleを去る。創業から2週間も経っていない1976年4月12日、ウェインは800ドルを受け取って所有する10パーセントの株式を自主放棄し、アップルを去った。
  • 1977年
  • Apple Iの後継機種である「Apple II」は、1977年4月16日 - 17日に開催された第1回「ウェスト・コースト・コンピュータ・フェア」で初めて発表され、その後希望小売価格1 298ドルで発売された。ウォズニアックはApple Iの発売以前から新型コンピュータの開発作業を始めており、1976年8月にはすでにApple IIの実動するプロトタイプを完成させていた。むき出しの基板(マザーボード)として販売されたApple Iとは大きく異なり、Apple IIは基板やキーボード、電源装置などが一体化された筐体であり、テレビ等の外部ディスプレイを接続すればすぐにコンピュータとして使用するこ...
    AppleII発売
  • ロゴの形を、かじられたリンゴの形に変更

    ロゴの形を、かじられたリンゴの形に変更
    かじられたリンゴの形になった理由。ロゴマークをデザインしたロブ・ジャノフ(Rob Janoff){がっかりさせると思うけど、リンゴにかじった部分をデザインに入れた理由は、みんながデザインを、チェリー(さくらんぼ)と見間違えないためだよ。」
    ロゴの形を、かじられたリンゴの形に変更
    ロゴの形を、かじられたリンゴの形に変更
  • 1978年
  • AppleIIの販売好調

    Apple IIの販売は当初から好調だったが、1978年7月にウォズニアックが設計した安価かつ高性能な専用外付けフロッピーディスクドライブ「Disk II」が登場し、本体の売り上げに大きく貢献した。そして1979年10月にApple II専用として発売された表計算ソフト「VisiCalc」が大ヒットを記録すると、商用・企業用コンピュータとしてのApple IIの需要に火がつき、その販売台数は飛躍的に増加した。1977年に2500台だったApple IIの販売台数は、1981年には21万台にまで急増していた。マイクロコンピュータ市場におけるアップル製品のシェアは1978年には10パーセントだった...
    AppleIIの販売好調
  • Steve Jobs  first TV interview

    Rare video shows a nervous Steve Jobs in his first television interview with affiliate KGO.
  • 1979年
  • 1979年AppleIIPlus発売

    1979年6月に発売されたApple II Plus。Apple Computer が製造するApple IIシリーズのパーソナルコンピュータの2番目のモデル。1979年6月から1982年12月に販売
    <span id="appleiiplus"></span>1979年AppleIIPlus発売
  • マイケル・スコットが、アップル初代CEOを務める

    マークラの助けを得たアップルは1977年1月3日に法人化され、"Apple Computer  Inc." となった。マークラは会社の成長には経験豊富な経営者が不可欠であると考え、フェアチャイルドセミコンダクター時代の元同僚で、当時はナショナル セミコンダクターの製造部門を率いていたマイケル・スコットを引き抜き、アップルの初代社長兼CEOに任命した。スコットは1977年2月からアップルでの仕事を始め、すぐにアップルを組織的にするための施策として、新たに社員番号を入れた社員証を発行した。スコットはその功績を認めてウォズニアックに社員番号1を与えたが、ジョブズは「1」が自分に与えられなかったことに...
    マイケル・スコットが、アップル初代CEOを務める
  • ゼロックスPARC見学

    1979年夏、ゼロックスにアップルの株式10万株をIPO前に売却することの交換条件として、ジョブズはゼロックスのパロアルト研究所 (PARC) を見学する権利を得た。1979年12月にPARCを訪れたアップル関係者の一団(ジョブズを含む)は、そこで目にしたマウスによって操作される先進的なグラフィカルユーザインタフェース (GUI) に強い印象を受けた。ジョブズはアップルで1978年頃から開発されていたビジネス向けPC「Lisa(リサ)」に、PARCで目にしたようなGUIを実装することを決意し、1980年初頭からLisaプロジェクトのトップに立って開発を主導し始めた。しかし、Lisaの開発はジョ...
  • 1980年
  • アップルIPO

    1980年に発売されたApple III
    アップルIPO
  • AppleIIIの失敗

    株式公開に先立つ1980年5月、アップルはビジネス向けに特化して設計された「Apple III」を発売し、巨大企業IBMに商用コンピュータ市場で挑戦を仕掛けたが、4 340 - 7 800ドルという価格設定の高さと、対応ソフトウェアの不足、そしてハードウェアの設計上の欠陥がわざわいし、Apple IIIは極度の販売不振に陥った 初期に出荷されたApple IIIのほとんどが欠陥品としてリコールされ、アップルは14 000台余りのApple IIIを無料で交換することを強いられた。1984年に生産終了するまでのApple IIIの累計販売台数は約12万台に過ぎなかったが、Apple IIは同じ期...
    AppleIIIの失敗
  • 1981年
  • Steve Jobs  first TV interview

  • 1981年
  • マイク・マークラが、アップルコンピュータ2代目の社長に就任

    バイトショップとの取引により約8 000ドルの利益を得たジョブズはさらなる事業拡大を望み、そのためには多額の融資が必要となった。ジョブズはアタリ時代の上司ノーラン・ブッシュネルの勧めにしたがい、セコイア・キャピタルの創業者ドン・バレンタインに会って
    マイク・マークラ(Armas Clifford "Mike" Markkula Jr)は、アメリカの投資家。創業間もないアップルコンピュータへ投資し、二代目の社長を務めた。1977年からアップルを退社する1997年までCEOを含む重役を務めた。アップルコンピュータを法人化し、大企業へと発展させたのは彼の手腕によるものが大きいとされる。南カリフォルニア大学にて学士号と修士号を修得する。また、シリコンバレーにあるサンタクララ大学より名誉博士号を授与される。アップルと関係を持つ前は、フェアチャイルドセミコンダクターとインテルでマーケティング部長を務め、ストックオプションで財をなした。現在はEcheL...
    マイク・マークラが、アップルコンピュータ2代目の社長に就任
  • アップルとIBMの競争は本格化

    IBMは1981年8月12日に「IBM PC」を発表してパーソナルコンピュータ (PC) 市場へ参入し、アップルとIBMの競争は本格化した。IBM PCの発売に際し、アップルは経済紙ウォール・ストリート・ジャーナルに今日では有名になった
    アップルとIBMの競争は本格化
  • ジョン・スカリー(JohnSculley)アップルCEO就任「このまま一生、砂糖水を売り続ける気なのか?世界を変えるチャンスに賭けてみる気はないのか?」

    スコットに代わる経営者として、ジョブズはペプシコーラからジョン・スカリー(John Sculley)を引き抜いたが、スカリーを説得する際にジョブズが用いた「このまま一生、砂糖水を売り続ける気なのか?世界を変えるチャンスに賭けてみる気はないのか?」というフレーズは有名になった。スカリーは1983年4月からアップルのCEOとして働き始めた。
    ジョン・スカリー(JohnSculley)アップルCEO就任「このまま一生、砂糖水を売り続ける気なのか?世界を変えるチャンスに賭けてみる気はないのか?」
  • 1983年
  • アップルコンピュータジャパン株式会社を設立

    日本法人は1983年にアップルコンピュータジャパン株式会社(Apple Japan  Inc.)として設立。2007年にアップルジャパン株式会社に社名変更
  • 1983 Apple Event Bill Gates and Steve Jobs

    The principles that guide Steve Jobs as he
  • Lisaの売り上げ低迷

    1983年1月に発売されたLisaは、GUIやマウスなど多くの革新的機能を備えていたが、価格は9 995ドルと極端に高く、またソフトウェア互換性の欠如がビジネスユーザーを遠ざける結果となり、販売は低迷した。Lisaの開発には1億5000万ドル以上が費やされたと伝えられるが、販売されたのはわずか1万台であり、アップルに多額の損失をもたらした。
    Lisaの売り上げ低迷
  • Wozniak Meets Steve Jobs: Blue Box Free Phone Calls Worldwide

    Many have heard the famous story about Steve Jobs building  blue boxes  to make free phone calls around the world. They called dial-a-joke and dial-a-song lines from London to Tokyo. Now hear the phone freak story directly from the man who gave him the idea. Steve Wozniak found a "fiction" article w...
  • 1984年
  • Macintosh 1984 Promotional Video - with Bill Gates!

    This is an edited version of a promotional video produced by Apple Computer in 1984 to launch the Mac.Surprisingly  Steve Jobs does NOT make an appearance in this video.It is BILL GATES that we see extolling the virtues and future of the Mac.A fun bit of history!
  • The Lost 1984 Video: young Steve Jobs introduces the Macintosh

    The Original 1984 Macintosh Introduction: the magic moment  when Steve Jobs unveils the Macintosh and releases it from its bag.
  • 初代Macintosh発売

    1984年に発売された初代Macintosh
    <span id="macintosh"></span>初代Macintosh発売
  • 開発担当者であるジョブズとスカリーらアップル経営陣との対立

    Macintoshは1984年1月24日に発売された。その2日前には、リドリー・スコットの監督によるテレビCM『1984』が第18回スーパーボウルで放映されており、Macintoshの発表には大きな注目が集まった。一般向けPCとしては初めてGUIを持ち、マウスでの操作を実現していたMacintoshは、当初はメディアからの喝采を浴び、販売も非常に好調であり、1984年4月末の時点ですでに5万台を売り上げていた。しかし、価格が2 495ドルと比較的高額であったことと、対応ソフトウェアの不足がわざわいし、発売から数カ月が過ぎるとMacintoshの販売は停滞し始めた。Macintoshへの期待が失...
  • 1985年
  • MacworldExpoを初開催。Macのトレードショー

    Macworld Expoを初開催。Macのトレードショー
  • 1986年
  • ジョブズとウォズニアックの離脱

    ジョブズとウォズニアックの離脱
    ジョブズとウォズニアックの離脱
  • ジョブズが新会社「NeXT」を創業

    1985年9月、ジョブズはアップルを退社して新会社「NeXT」を立ち上げた。ウォズニアックもまた、別の事業を始めるため1985年前半にアップルを(ジョブズよりも先に)離れていた。その際、ウォズニアックはアップルがApple II部門を冷遇してきたことへの不満を表明し、会社が「過去5年間ずっと間違った方向に進んでいる」と述べた。
    ジョブズが新会社「NeXT」を創業
    ジョン・スカリーはアメリカ合衆国の実業家。ペプシコーラ社長とアップルコンピュータの社長、CEOを歴任。ブラウン大学に進学。ペンシルベニア大学ウォートン・スクールで MBA 修了後、ニューヨークの広告代理店、その後ペプシコ初のMBA修了者として入社する。スカリーは、ペプシのコマーシャルにマイケル・ジャクソンを採用したり、ペプシチャレンジと言われた、ブランド名を隠して複数のコーラを飲ませて、ペプシのコーラがおいしいと伝えるコマーシャルなどの手法を採用し、遂にはコカ・コーラを抜いてアメリカの炭酸飲料マーケットで、首位を取る原動力となった。1981年、アップルコンピュータにマーケティングに優れた役員を...
    ジョブズが新会社「NeXT」を創業
  • 漢字Talkを発売

    Macintosh用の日本語OS「漢字Talk」を発売
  • 1987年
  • MacintoshII発売

    初のカラーモデルMacintosh IIを発売
  • 1990年
  • 最高執行責任者(COO)にマイケル・スピンドラーが就任

    1980年代末、Macintoshと同等の機能をはるかに低い価格で提供するPC/AT互換機用のDTPプログラムが登場すると、ガゼーの高価格路線は裏目にでることとなった。Macintoshはそれまで維持してきたDTP用途での優位性を失い、高価格路線の結果としてその他の一般ユーザーはMacintoshを敬遠していた。1989年9月にはガゼーが開発を推進したポータブルコンピュータ「Macintosh Portable」が発売されたが、ライバル機種と比較してかなり重いことがネックとなり販売は低迷した。アップルは1989年のクリスマス・シーズンで史上初めて売上高の減少を記録することとなり、それを受けて株...
  • MacintoshClassic、MacintoshLC、MacintoshIIsiを発売

    ガゼーが退社した直後の1990年10月、アップルは「Macintosh Classic」、「Macintosh LC」、「Macintosh IIsi」という3種の廉価モデルを発売し、低価格帯(ローエンド)の製品ラインナップ強化を図った。
  • PowerBook発売

    1991年に発売されたPowerBook
    PowerBook発売
  • アップルコンピュータ対マイクロソフト訴訟

    この時期、マイクロソフトは安価なPC/AT互換機向けのOSとして「Microsoft Windows」を供給することで市場シェアを伸ばし続けていた。1988年、アップルはマイクロソフトが自社のGUIを「Windows 2.0」に盗用したとして、アップルコンピュータ対マイクロソフト訴訟を起こした。この法廷闘争は1995年2月まで約7年間続いたが、最終的にアップルの訴えは退けられた。
    アップルコンピュータ対マイクロソフト訴訟
  • 1991年
  • QuickTimeを発表

    Macintoshを中心とした展示会であるMACWORLD EXPOで、当時のアップルのCEOジョン・スカリーの基調講演でQuickTimeが発表される。QuickTimeは、アップルが開発するマルチメディア技術で、音楽、動画、画像、テキストデータなどを取り扱うことができる。
  • 「Macintosh Quadra」「Macintosh Centris」「Macintosh Performa」を発売

    Windowsを搭載するPCとの競争に勝利するため、アップルは価格帯や仕様の異なる無数のMacintosh製品を展開し、幅広い顧客のニーズを満たそうと試みた。1991年から1993年にかけ、アップルはMacintoshに3つのブランドを新設し、ハイエンドの「Macintosh Quadra」、ミッドレンジの「Macintosh Centris」、ローコストの「Macintosh Performa」を立ち上げた。しかし、仕様の異なるモデルが乱立する状況は一般の消費者を混乱させることとなり、Macintoshの売り上げに悪影響を及ぼした。スカリーはアップルにはMacintoshに代わる画期的な新製...
    「Macintosh Quadra」「Macintosh Centris」「Macintosh Performa」を発売
  • IBMと提携関係

  • 1992年
  • 携帯型情報機器「Newton」発表

    携帯型情報機器「Newton」発表
  • 1993年
  • 米国本社をアップル・キャンパスに移転

    アップル・キャンパスは、1993年から2017年までのアップルの本社である。主要部分はアップル・パークに移転したが、オフィスや研究所として引き続き利用されている。アップル・キャンパスはカリフォルニア州クパチーノにあり、そのデザインは郊外のビジネスパークに似た、緑地の周囲に建物を持つ大学のものと似ている。
  • マイケル・スピンドラー(Michael Spindler)がCEOに就任

    1993年の第3四半期、アップルは過去最悪となる1億8 830万ドルの損失を計上した。業績悪化が表面化する中、ニュートンの失敗や政治活動への傾倒によって取締役会からの信用を失っていたスカリーは、1993年6月18日をもってCEOを退任させられ、COOを務めていたスピンドラーが新CEOに就任した。CEO退任後もスカリーは会長職にとどまったが、1993年10月にはアップルを去って他社のCEOに就任した。
    マイケル・スピンドラー(Michael Spindler)がCEOに就任
  • 1995年
  • 映画「スティーブ・ジョブズ1995~失われたインタビュー~」特別映像

  • 1996年
  • ギル・アメリオがCEOに就任

    1996年2月初旬、スピンドラーが辞任し、ギル・アメリオが後任としてアップルのCEOに就任した。会社再建人としての評判を買われてナショナル・セミコンダクターから引き抜かれたアメリオは、大胆なレイオフとコスト削減策を実行した。TaligentやCoplandで次世代OSの開発に幾度となく失敗していたアップルは、最終的にはOSを外部から調達する必要に迫られていた。
    ギル・アメリオがCEOに就任
  • Appleは次期MacOSに「OPENSTEP」を採用

    1996年、Appleは次期Mac OS「Copland」の開発中止を発表。新たなOS開発を開始するのは不可能と判断した経営陣は、他社のOS買収へと方向転換した。買収対象の最有力候補は、Apple出身のジャン・ルイ・ガセーが立ち上げた、Be社の「BeOS」だった。しかしこれを聞きつけたジョブズが自社NeXT社のOS、「OPENSTEP」と「NEXTSTEP」をApple社に売り込んだ。12月10日に「BeOS」と「OPENSTEP」の比較プレゼンテーションが行われ、結果「OPENSTEP」が採用されることとなった。

    Appleは次期MacOSに「OPENSTEP」を採用
  • Steve Jobs about VisiCalc speadsheet in 1996 NHK documentary

    Steve Jobs about VisiCalc speadsheet in 1996 NHK documentary
  • 1997年
  • スティーブ・ジョブズがアップルに復帰!

    1997年のMacworld Expoで、スティーブ・ジョブズがアップルに復帰。当時のアップルCEOであるギル・アメリオ氏に呼ばれ、アップルに特別顧問として復帰したスティーブ・ジョブズが姿を現し、買収でアップルに持ち込んだネクストのOS技術を紹介した。ジョブズのスピーチの後には、アップルのもう1人の創業者、スティーブ・ウォズニアック氏も壇上に招かれ、スタンディングオベーションが巻き起こった。そしてマイクロソフトがアップルに1億5000万ドルの投資を行ったことを発表した。
    スティーブ・ジョブズがアップルに復帰!
  • 1997年9月ジョブズが暫定CEOに就任

    1997年7月、アップル株が記録的な安値を付けたことを受けて、取締役会はアメリオをCEOから解任することを決定した。その後1997年9月よりジョブズが暫定CEOに就任し、アップルの製品ラインナップの再建に取り組み始めた。
  • Think differentの広告キャンペーンのスローガン

    Think differentとは、1997年のアップルコンピュータの広告キャンペーンのスローガン。アメリカ合衆国の広告代理店TBWA\CHIAT\DAYのロサンゼルス・オフィスが制作を担当した。 このスローガンは、テレビコマーシャルのほか、印刷広告や個別のアップル製品のテレビ広告などでも使用された。"Think different."では各界の偉人・著名人をCMに起用し、Apple自身のイメージ転換戦略が計られた。
    Think differentの広告キャンペーンのスローガン
  • 1997 WWDC Fireside Chat with Steve Jobs

  • デザイナーとしてジョナサン・アイブ(Jonathan Ive)を抜擢

    ジョブズは有望なデザイナーとしてジョナサン・アイブ(Jonathan Ive)を見出し、アイブはアップル製品の再興に重要な役割を担うようになった。
  • Appleがオンライン直販開始

    Apple自身がホームページを使ったオンライン直販を開始
  • 1998年
  • 初代iMac発売

    1998年8月15日、アップルはMacintosh 128Kを彷彿とさせるオールインワン型PC「iMac」を発表。iMacのデザインチームを率いたジョナサン・アイブは、その後「iPod」と「iPhone」のデザインも手がける。最新の技術とユニークなデザインを特徴とするiMacは、発売から5カ月で約80万台を売り上げる大ヒットを記録した。斬新でファッショナブルな外観は、これまでPCを使っていなかった層にまで広く普及し、商業的にも大成功を収めた
    <span id="imac"></span>初代iMac発売
  • アプリケーションの開発・販売権をAppleに戻す

    Appleのソフトウェア部門の別子会社であったクラリスをファイルメーカー社と改名し、FileMakerの開発・販売に専念させ、クラリスワークスに代表されるその他のアプリケーションの開発・販売権をAppleに戻す決定もなされる。
  • 多くの場合、人は形にして見せてもらうまで、自分は何が欲しいのかわからないものだ

    It’s really hard to design products by focus groups. A lot of times  people don’t know what they want until you show it to them
  • シンプルであることは、複雑であることよりもむずかしいときがある

    Interview with Business Week, 1998 That s been one of my mantras - focus and simplicity.Simple can be harder than complex: you have to work hard to get your thinking clean to make it simple. But it s worth it in the end because once you get there, you can move mountains.
    シンプルであることは、複雑であることよりもむずかし...
  • 1999年
  • Steve Jobs MacWorld - 1999

    コンシューマ向けノートブック「iBook」を発表した
  • Macworld Tokyo 1999 ジョブズ日本初講演

    Macworld Tokyo 1999 ジョブズ日本初講演
  • 2000年
  • iTunesリリース

    2000年、アップルはCasady & Greeneが1998年に公開したMP3再生ソフト「SoundJam MP」を買収した。それに合わせてSoundJam MPの主要な開発者たちはアップルに移籍し、ソフトのインタフェース等を改良し続け、2001年1月に「iTunes」としてリリースした。
  • 2001年
  • Steve Jobs Keynote Macworld 2001 Tokyo

  • 2001年3月24日、数年の開発期間を得て、NeXTのOPENSTEPをベースする「Mac OS X」が公開された。Mac OS 9を使い慣れたユーザーの移行を助けるため、Mac OS XはMac OS 9のアプリケーションを使用可能にする「クラシック環境 (Classic Environment)」を用意していた。
    <span id="macosx"></span>MacOSX公開
  • AppleStoreオープン

    2001年5月19日、世界最初のApple Storeが、バージニア州マクリーンとカリフォルニア州グレンデールに2店舗同時にープン。店内には、iMacやiBooksやPowerBook G4 Titanium、Power Macといった製品が並び、顧客は商品を購入するだけでなく、店頭で実際に試し、詳しいサポートを受けられるという特徴がある。開店の当日、バージニア州マクリーンのタイソンズ・コーナーのApple Store前には、夜明け前から500人もの行列ができた。
  • 2001年10月23日、アップルは携帯型デジタル音楽プレイヤー「iPod」を発表。1 000曲をポケットに入れて持ち運べる超小型MP3プレーヤー
    iPod発売
  • 2003年
  • Mac用Webブラウザsafariを発表

    アップルは、これまでにMacR用として作られた中で最も高速かつ最も使いやすいWebブラウザ、「Safari(サファリ)」を発表
    <span id="safari"></span>Mac用Webブラウザsafariを発表
  • iTunesStore開始

    2003年には1曲あたり0.99ドルで音楽をダウンロードできるサービスとして「iTunes Store」が開始され、iPodとの連携機能が用意されていたこともあって、早々にオンライン音楽サービスを牽引する存在となった。2008年6月19日までにiTunes Storeでの累計ダウンロード数は50億回を越えた。2010年までにiTunes Storeは世界最大の音楽小売店となっていた。
    <span id="itunesstore"></span>iTunesStore開始
  • 2003年11月30日、東京 アップルの日本初の直営店となる銀座店が、東京銀座にオープン
  • 2004年
  • iPodmini発売

    iPod mini発売
  • 2005年
  • インテル製CPUへの移行

    2005年6月6日、ジョブズはワールドワイド・デベロッパーズ・カンファレンスの基調講演で、2006年からインテルのCPUを搭載したMacintosh(Intel Mac)が生産されることを発表した。2006年1月10日、インテルのCore Duoプロセッサを搭載した新型「MacBook Pro」と「iMac」が発表された。同年の8月7日までに、アップルは全てのMacintosh製品がインテル製CPUに移行したが、この移行は発表よりも1年以上早く実行された。"Power Mac"、"iBook"、"PowerBook" の3ブランドはこの移行によって生産終了となり、それぞれ "Mac Pro"、...
    インテル製CPUへの移行
  • iPodnano発売

    Here we see Steve Jobs introducing the first ever iPod Nano
    iPodnano発売
  • iPodshuffle発売

    iPod shuffle(アイポッド シャッフル)はアップルのiPodシリーズの一つとして発売されたデジタルオーディオプレーヤーである。"すべて、偶然に任せよう。(Enjoy uncertainty.)" "Life is random."というキャッチフレーズと共に2005年1月11日のMacworld Conference & Expoで発表された。ストレージとしてハードディスクドライブではなくフラッシュメモリが採用された最初のiPodである。転送された曲をシャッフルして聴くというコンセプトを前面に押し出している。また、通常の音楽プレイヤーのようにプレイリスト順に再生することも可能。情報表...
    iPodshuffle発売
  • 2005年スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式でスピーチする

    世界でもっとも優秀な大学の卒業式に同席できて光栄です。私は大学を卒業したことがありません。実のところ、きょうが人生でもっとも大学卒業に近づいた日です。本日は自分が生きてきた経験から、3つの話をさせてください。たいしたことではない。たった3つです。まずは、点と点をつなげる、ということです。私はリード大学をたった半年で退学したのですが、本当に学校を去るまでの1年半は大学に居座り続けたのです。ではなぜ、学校をやめたのでしょうか。
    私が生まれる前、生みの母は未婚の大学院生でした。母は決心し、私を養子に出すことにしたのです。母は私を産んだらぜひとも、だれかきちんと大学院を出た人に引き取ってほしいと考え、ある弁護士夫婦との養子縁組が決まったのです。ところが、この夫婦は間際になって女の子をほしいと言いだした。こうして育ての親となった私の両親のところに深夜、電話がかかってきたのです。「思いがけず、養子にできる男の子が生まれたのですが、引き取る気はありますか」と。両親は「もちろん」と答えた。生みの母は、後々、養子縁組の書類にサインするのを拒否したそうです。私の母は大卒ではないし、父に至っては高校も出ていないからです。実の母は、両親...
  • Apple WWDC 2005-The Intel Switch Revealed

    Here we see Steve Jobs announcing that Apple will begin using Macs with Intel processors & that Mac OS X was being built for Intel since the beginning.
  • 2006年
  • Macworld2006(10Jan2006)

  • Apple Fifth Avenueオープン(NY五番街 ガラスキューブ型のApple Store)

    NY五番街 ガラスキューブ型のApple Storeオープン。背の高いビルが建ち並ぶミッドタウンから五番街をセントラルパークの方へと進むと、突如ビルのない空間が開けて巨大なガラスキューブが現れる。一見、お店だとは分からない。ビルの街ニューヨークに置かれたガラスのキューブはアート作品のようなたたずまいで、Fifth Avenue店はすぐにニューヨークの観光名所の1つになった。ストアは地下にあり、ガラスキューブの入り口から買い物客はらせん階段またはエレベーターを使って降りていくつくりになっている。
    Apple Fifth Avenueオープン(NY五番街 ガラスキューブ型のApple Store)
  • 2007年
  • iPhoneを発表「アップルが電話を再発明します。」

    iPhoneを発表するスティーブ・ジョブズ
    <span id="itunesstore"></span>iPhoneを発表「アップルが電話を再発明します。」
  • Steve Jobs Introducing The iPhone At MacWorld 2007

    On January 9  2007 Apple introduced the iPhone. The iPhone was a revolutionary product from Apple and it changed the way smart phones look and work. This video is from MacWorld 2007 were Steve Jobs introduced the original iPhone (1st Gen./ 2G). If you like vintage Apple stuff are just general Tech s...
  • iPodtouch発売

    iPod touch(アイポッド タッチ)は、アップルが開発・販売する、フラッシュメモリを内蔵したiPodシリーズのポータブルメディアプレーヤー。iPhoneと同様、物理的なボタンは極力少なくし、ほとんどの操作は画面にタッチして行うという特徴を持っている。また、一般的なタッチパネルとは異なり、マルチタッチ対応のタッチパネルを使用することにより、単に画面を触るだけではなく、複数の指を画面上で広げたり閉じたりするような操作で、画面に表示している写真などを直感的に拡大・縮小できる。また、どの程度の速度で指を動かしているかを認識し、表示している項目のスクロール速度をコントロールするなど、従来のタッチパ...
  • Steve Jobs and Bill Gates Together at D5 Conference 2007

    The interview with Steve Jobs and Bill Gates  one of the most important moments in the recent history of computing. A great teaching for people who love Apple and people who love Microsoft.
  • 2008年
  • AppStoreを開設

    2008年7月、アップルはサードパーティー製のiPhoneおよびiPod Touch向けアプリケーションを販売する「App Store」を開設した。開設後1カ月以内で、App Store上では6 000万本のアプリケーションが販売され、1日あたり平均100万ドルの売り上げがあった。ジョブズは2008年8月に、App Storeは将来的に10億ドル規模のビジネスになり得ると述べた。
    AppStoreを開設
    AppStoreを開設
  • ソフトバンクとアップル、iPhone3Gを2008年7月11日より日本で発売

    iPhone 3Gを2008年7月11日より日本で発売
  • 2009年
  • ジョブズがCEOを休職することを発表

    ジョブズは2009年1月14日、病気の治療に専念するため、2009年6月末までCEOを休職することを発表した。 ジョブズ不在の状況で迎えた2009年度の第1四半期は、ホリデーシーズン期以外では過去最高の四半期となり、 売上高は81億6,000万ドル、利益は12億1,100万ドルを記録した。
  • 2010年
  • 2010年1月27日、アップルは以前から登場が噂されていたタブレット型デバイス「iPad」を発表した。 iPadはiPhoneと同一のタッチ操作ベースのOSを採用していたほか、全てのiPhone用アプリケーションが使用可能となっていた。iPadは2010年4月3日からアメリカで販売され、発売初日だけで30万台以上、発売初週の終わりまでに50万台以上を売り上げた。
    <span id="ipad"></span>iPadを発表
  • iPhone4を発表

    自撮りカメラとHD動画の撮影機能を搭載した「iPhone 4」は、カメラの歴史において、コダックによる写真の大衆化後で最大の事件となった。
  • 2010年5月、アップルの時価総額は1989年以来初めてマイクロソフトの時価総額を上回った。
  • 2011年
  • ジョブズは改めて病気の治療に専念するため、無期限でCEOを休職することを発表

    ジョブズは2011年1月17日、改めて病気の治療に専念するため、無期限でCEOを休職することを発表した。これを受け、最高執行責任者のティム・クックがジョブズの日常業務を引き継いだ。
    ジョブズは改めて病気の治療に専念するため、無期限でCEOを休職することを発表
  • ヴァーチャルアシスタント「Siri」を発表
  • ジョブズが生前に行った最後の製品発表

    2011年6月、療養中のジョブズが表舞台に立ち、オンラインストレージおよびコンテンツ同期サービスである「iCloud」を発表した。iCloudの発表は、ジョブズが生前に行った最後の製品発表となった。
    ジョブズが生前に行った最後の製品発表
  • 2011年
  • ジョブズがアップルのCEOを辞任

    2011年8月24日、ジョブズはアップルのCEOを辞任した。
  • ジョブズの死

    2011年10月5日、スティーブ・ジョブズが56歳で亡くなり、アップルにおける一時代の終わりを告げた。
    ジョブズの死
  • 2012年
  • Mac OS X向けの「iBook Author」を発表

    2012年1月19日、ジョブズの没後初となるアップルのメジャーな製品発表がニューヨークで行われ、フィリップ・シラーがiOS向けの「iBooks Textbook」とMac OS X向けの「iBook Author」を発表した。ジョブズは生前、自分の伝記の中で、教科書業界と教育を再創造したいと語っていた。
  • サムスンがアップルに対して10億5,000万ドルの損害賠償を支払う判決

    2012年8月20日、アップルの株価は上昇を続け、同社の株価時価総額は過去最高の6 240億ドルに達し、1999年にマイクロソフトが記録した数字を上回った。2012年8月24日、2011年にアップルが韓国のサムスン電子を特許侵害で訴えたアップル対サムスン訴訟について、陪審員は評決を言い渡し、サムスンにアップルに対して10億5 000万ドルの損害賠償を支払うことを命じた。サムスンは上訴し、2013年に裁判所は賠償金を4億5 000万ドル分減額するよう命じ、さらにサムスンによる再審理の要請を認めた。アップルは台湾のHTCに対しても特許訴訟を起こしていたが、2012年11月10日、アップルとHTCの...
    サムスンがアップルに対して10億5,000万ドルの損害賠償を支払う判決
  • 2013年
  • Apple Japan、本社を六本木ヒルズに移転

    2013年5月 Apple Japan、本社を六本木ヒルズに移転
    Apple Japan、本社を六本木ヒルズに移転
  • AppleSpecialEvent.September102013

    Watch streaming video from this special event and learn more about our exciting announcements.
  • 2014年
  • AppleWatchを発表

    2014年9月9日、アップル初のスマートウォッチ「Apple Watch」を発表。人々がより健康的な毎日を送ることができるようにする総合的なヘルスケアとフィットネスのアプリケーションを初めて採用します。Apple Watchは、Apple Watch、Apple Watch Sport、Apple Watch Editionという3つの特徴のあるコレクションで提供。Apple Watchは、より小さなデバイスのために特に作られた、革新的なデザインとiOSベースのユーザーインターフェイスを初めて採用しています。Apple Watchは、スクロール、ズーム、ナビゲートといった操作を、ディスプレイを...
    AppleWatchを発表
  • モバイル決済サービス「ApplePay」を開始

    2014年にモバイル決済サービス「Apple Pay」を開始。利用者が所持するアップル社製モバイル端末に主にクレジットカードなどのカードを登録し、利用時に店舗側の既存の非接触対応端末を用いる。利用者のクレジットカードかデビットカードのEMV、または磁気ストライプカードのクレジットカードの番号情報を、利用者モバイル端末に保存する。これらはiOSアプリの「Wallet」で管理する。これを店舗側の非接触信用照会端末で読み取って認証・決済される。原理上は多くの国家で利用されている「非接触支払いの複要素認証版」に近く、近距離無線通信を用いて、iPhoneに搭載されている生体認証技術である、Touch I...
    モバイル決済サービス「ApplePay」を開始
  • 2015年
  • 2015年AppleMusicサービスを開始

    Apple Musicは、日本では個人980円、ファミリープラン1 480円で音楽が聞き放題のサービス。iTunes Storeに配信されている曲の大半が聞くことが出来る。Apple Musicを利用するには、Apple IDとiTunesが必要で、iPhone、iPad、iPod touchのiCloud ミュージックライブラリをオンにする必要がある。ストリーミングで再生することもダウンロードして保存して聞くことも可能である。ただしダウンロードした曲にはDRMがついているため、サービス解約後は聞くことが出来なくなる。iTunesでApple Musicの曲をダウンロードした場合は、iTune...
    2015年AppleMusicサービスを開始
  • 2016年
  • Apple WWDC2016Keynote

    At WWDC we made lots of major announcements. iOS 10 is our biggest release yet  with incredible features in Messages and an all-new design for Maps  Photos  and Apple Music. With macOS Sierra  Siri makes its debut on your desktop and Apple Pay comes to the web. The latest watchOS offers easier navig...
  • 2017年
  • 米国新社屋 Apple Park(アップル・パーク)完成

    Apple Park(アップル・パーク)は、カリフォルニア州クパチーノにあるアップルの新本社ビルを中心とする施設である。2017年4月より6ヶ月をかけて本社機能の移転が行われている。建設中の2017年4月に従業員に公開された。その研究開発施設は2 000人以上の人々によって占有されている。無限ループな元の本社地の開発で1993年に開始。全体の総面積は0.7km2。本社のオフィスビルは床面積26万m2のドーナツ型の4階建てガラス張りの建物で、1万2 000人の従業員が働く。ノーマン・フォスターがその円形のデザインを手掛け極端なスケール構造はメディアから「宇宙船」というのニックネームを得た。 郊外...
    米国新社屋 Apple Park(アップル・パーク)完成
  • Apple WWDC2017Keynote

    Apple WWDC 2017. Take a look at our latest announcements. The new iPad Pro. iMac Pro. HomePod. iOS 11. macOS High Sierra. watchOS 4.
  • ジェイミー・エーリクト(Jamie Erlicht)とザック・バン・アンバーグ(Zack Van Amburg)が加わる

    米ソニー・ピクチャーズのテレビ番組制作会社ソニー・ピクチャーズテレビジョンで共同社長を務めてきた、ジェイミー・エーリクト(Jamie Erlicht)とザック・バン・アンバーグ(Zack Van Amburg)を引き抜いた。「ブレイキング・バッド」「ザ・クラウン」といった人気ドラマを手掛けた。
    ジェイミー・エーリクト(Jamie Erlicht)とザック・バン・アンバーグ(Zack Van Amburg)が加わる
  • オプラ・ウィンフリー(Oprah Winfrey)と複数年のパートナーシップ契約

    アップルは米国の人気トーク番組で知られる大物タレントで、トーク番組で主婦層から絶大な人気を誇り、米エンターテインメント業界で最も稼いだ人物としても知られる実業家オプラ・ウィンフリー(Oprah Winfrey)と複数年のパートナーシップ契約を結んだ。
    オプラ・ウィンフリー(Oprah Winfrey)と複数年のパートナーシップ契約
  • 2018年
  • SeptemberEvent2018 Apple

    Apple Special Event. September 12  2018. Big news all around. Take a look at the all-new Apple Watch Series 4  iPhone XS and iPhone XS Max  and iPhone XR.
  • October Event 2018 Apple

    Apple Special Event. October 30  2018. Check out all the new updates for iPad Pro  MacBook Air  and Mac mini. 
  • WWDC2018Keynote Apple

    Apple WWDC 2018. Four OS updates. One big day. Take a look at updates for iPhone and iPad  Mac  Apple Watch  and Apple TV.
  • 2019年
  • Apple、AppleArcadeを発表

    Apple Arcadeは、モバイル、デスクトップ、リビングで楽しめる世界初のゲームのサブスクリプションサービス。Apple Arcadeはゲームのサブスクリプションサービスで、多数の著名クリエイターのオリジナル作品を含む、多数の独占公開の新作ゲームを提供。Apple Arcadeでは、選りすぐられたタイトルのコレクションからどのゲームでも自由に試してみることができる。
    <span id="arcade"></span>Apple、AppleArcadeを発表
  • WWDC2019Keynote Apple

    Apple WWDC 2019. One big week. Even bigger announcements. Announcing updates to iOS  watchOS  and macOS. And introducing iPadOS  the all-new Mac Pro and Pro Display XDR.
  • SeptemberEvent2019 Apple

    Innovation takes the stage September 10  2019. Check out the all-new iPhone 11 Pro  iPhone 11  Apple Watch Series 5  and iPad. And get the latest on Apple Arcade and Apple TV+.
  • Look what you can do with iPadOS Apple

  • iPadOSを発表

    iPadOS(アイパッドオーエス)はアップルが開発・提供するモバイルオペレーティングシステム(組み込みプラットフォーム)。WWDC 2019で発表され、2019年9月25日にリリースされた

【keyword】ブルーボックス(bluebox)

ブルーボックスは、電話回線を不正利用して無料での長距離電話を可能にする機械。 ウォズニアックが1970年代初頭に製作したブルーボックスは、 ジョブズとウォズニアックのビジネスの原点となる。 ウォズニアックが雑誌記事を参考にオリジナルのブルーボックスを自作し、ジョブズが学生などを相手にそれを売り回り、 最終的に200台余りのブルーボックスが販売され、ジョブズとウォズニアックは大きな利益を上げたが、 あるとき銃で脅されブルーボックスを奪われたことがきっかけとなり、身の危険を感じた2人は販売を止めた。 ある日、ウォズニアック氏とジョブズ氏は、ブルーボックスを使ってバチカンに電話をかけ、 アメリカ国務長官を語って「私はヘンリー・キッシンジャーだ。教皇と話したい」と電話をかけたこともあるとのこと。「まだ朝の5時40分だから後でかけ直してほしい」と言われたウォズニアック氏がかけ直して「ヘンリー・キッシンジャーだけど」と話しかけると、電話口の向こうの相手に「さっき、キッシンジャー氏と会って話したばかりですが」と言われて慌てたというエピソードも。 ジョブズ氏はブルーボックスの意味を振り返って「あの経験から学んだのは、アイデアが持つ力というものです」 「ブルーボックスで商売をした経験がなければアップルが誕生することもなかったのは100パーセント確実だ」 「それは、単に製品を作り上げることができる、という自信を得ただけではなく、その製品が世界に大きな影響を与えることができる、と実感できたからです」

【key person】ステファン・ゲーリー・ウォズニアック

ステファン・ゲーリー・ウォズニアック(Stephen Gary Wozniak)は、アメリカ合衆国のコンピュータ・エンジニア。 スティーブ・ジョブズ、ロン・ウェインらと共に、商用パーソナルコンピュータで世界初の成功を収めたアップルの共同設立者の一人。

Apple IおよびApple IIをほぼ独力で開発。 多くのコンピューター関係者に人柄を慕われ「ウォズ」と、また、技術者からはApple IIの設計などから窺えるその技術力から「ウォズの魔法使い」とも呼ばれる。 アメリカ国家技術賞とグレース・ホッパー賞を受賞している。

【design】アップルロゴの歴史

【key person】マイク・マークラ

マイク・マークラ(Armas Clifford "Mike" Markkula Jr)は、アメリカの投資家。 創業間もないアップルコンピュータへ投資し、二代目の社長を務めた。 1977年からアップルを退社する1997年までCEOを含む重役を務めた。 アップルコンピュータを法人化し、大企業へと発展させたのは彼の手腕によるものが大きいとされる。 南カリフォルニア大学にて学士号と修士号を修得する。 また、シリコンバレーにあるサンタクララ大学より名誉博士号を授与される。 アップルと関係を持つ前は、フェアチャイルドセミコンダクターとインテルでマーケティング部長を務め、ストックオプションで財をなした。 現在はEcheLON社やACM Aviation社などの取締役を務める 若くして引退生活を送っていたマークラは、ジョブズの野心とウォズニアックの技術的才能に心を動かされ、1976年11月に引退から復帰してアップルに加わった。 マークラは自分の個人的資産から9万2,000ドルをアップルに投資したほか、バンク・オブ・アメリカから25万ドルの信用供与を確保した。 マークラは事業に参加する条件として、当時まだHPの社員だったウォズニアックが今後アップルでの仕事に専念することを要求したため、ウォズニアックはHPを辞めざるを得なかった。

【key person】ジョン・スカリー(John Sculley)

ジョン・スカリーはアメリカ合衆国の実業家。ペプシコーラ社長とアップルコンピュータの社長、CEOを歴任。 ブラウン大学に進学。ペンシルベニア大学ウォートン・スクールで MBA 修了後、ニューヨークの広告代理店、その後ペプシコ初のMBA修了者として入社する。 スカリーは、ペプシのコマーシャルにマイケル・ジャクソンを採用したり、ペプシチャレンジと言われた、ブランド名を隠して複数のコーラを飲ませて、 ペプシのコーラがおいしいと伝えるコマーシャルなどの手法を採用し、遂にはコカ・コーラを抜いてアメリカの炭酸飲料マーケットで、首位を取る原動力となった。 1981年、アップルコンピュータにマーケティングに優れた役員を探していたスティーブ・ジョブズが、当時ペプシコーラの事業担当社長を していたスカリーに白羽の矢を立て、18ヶ月に渡って引き抜き工作を行った。 この時スカリーを口説くために、スティーブ・ジョブズが述べた、 このまま一生砂糖水を売り続けたいのか、それとも私と一緒に世界を変えたいのか? は有名な一節。 1983年アップルの社長に就任。 1984年の初の赤字を計上、従業員の1/5にあたる人数の削減。 アップルの経営を混乱させているのはジョブズだと考えるようになったスカリーは、1985年4月にマッキントッシュ部門からの退任をジョブズに要求、 取締役会もこれを承認。ジョブズはスカリーが北京に出張している間にアップルから追放することを画策したが失敗。 ジョブズはアップルでのすべての仕事を剥奪された。 ジョブズがアップルを去ったのに前後して、1985年6月25日にスカリーとハード担当責任者であったガセー宛に、 マイクロソフトのビル・ゲイツからAT&Tやヒューレット・パッカード、ソニーなど有力メーカにマッキントッシュのOSをライセンスするべきで、 ゲイツ自身もその手助けを惜しまないという内容のメールが送られたが、 技術陣から猛反対を受けてこの提案は闇に葬られた。この判断は後々、スカリー最大の失策とも言われた。 業績が大幅に悪化したこともあって1993年、ストックオプションなど約1000万ドル相当の退職慰労金を手にCEOを退任し、マイケル・スピンドラーに譲った。

ジョナサン・アイブ(Jonathan Ive)

イギリス人デザイナー。 アップルのCDO(最高デザイン責任者)。 iMac、MacBook、iPod、iPhone、iPadなど現在の主要アップル製品のインダストリアルデザイン担当者として国際的に知られている。 2019年6月、2019年内でマーク・ニューソンと共にアップルを退社しLoveFromというデザイン会社を起業すると発表。 ロンドンにあるデザインエージェンシーTangerineで短期間働いた後、1992年アップルでのキャリアを積むためにアメリカ合衆国へ移住した。当時はロバート・ブルーナーがインダストリアルデザイン部門を率いていたが、20周年記念Macintoshのデザインで頭角を現した。 1996年、ロバート・ブルーナーの後継として、インダストリアルデザイン担当責任者に就任。以来、アップルのIDGを率い、同社の主要製品のデザインを統括してきた。 スティーブ・ジョブズがアップルへと復帰した後、インダストリアルデザイン担当上級副社長となり、 2013年6月にソフトウェアも含めたデザイン担当上級副社長へ就任、2017年7月にCDOへ昇格した。 2017年、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート学長就任が発表 評論家は、アイブの作品をインダストリアルデザイン界において最高ランクに属するとみなしており、彼のチームが手がけた製品は、アメリカインダストリアルデザイナー協会のIndustrial Design Excellence Awardなどを受賞している。 アイブは、デザインミュージアムの2002年のデザイナー・オブ・ザ・イヤーの初代受賞者となった。その翌年の2003年に再び受賞し、 2004年には同賞の審査員となった。

【key person】ティム・クック(Tim Cook)

ティモシー・ドナルド・“ティム”・クック(Timothy Donald "Tim" Cook、1960年11月1日 - )は、アメリカ合衆国の実業家、作家、教育者。アップルの最高経営責任者(CEO)。2005年よりナイキの社外取締役(Lead Independent Director)も務める。

1982年にオーバーン大学で生産工学分野の理学士を取得後、1988年にデューク大学でMBAを取得。

Intelligent Electronics社CEOを振り出しに、IBMパーソナルコンピュータ事業北米ディレクターとして12年を過ごし、コンパックのバイスプレジデントを半年務めた後、1997年に辞任したマルコ・ランディCOOの後任として1998年にアップルコンピュータに入社。

オペレーション担当上級副社長を経て、2000年10月9日のミッチ・マンディッチの引退に伴い、ワールドワイドセールス担当を兼任。2002年、ワールドワイドセールス&オペレーションズ担当エグゼクティブ・バイスプレジデントに就任。2005年10月14日には最高執行責任者(COO)に昇格。アップルの前CEO スティーブ・ジョブズの元で経営の実務面を担当し、同社の躍進を支えてきた。

2009年と2011年の二回にわたり、病気治療のため休職したジョブズに代わってCEO代行を務めた後、2011年8月24日、ジョブズの引退に伴いCEOに就任した。
ジョブズとウォズニアック

【keyword】WWDC

Worldwide Developers Conference(ワールドワイド デベロッパーズ カンファレンス、略称:WWDC、世界開発者会議)はアップルが毎年開催している開発者向けイベント。 通例では夏に5日に渡って開催されている。 参加にはApple Developer Connectionのメンバー登録が必要(無料のApple Developerで良い)、また参加登録の際にNDA(非開示契約)を結ぶ必要がある。 初日午前中に行われる基調講演とApple Design Awardsの発表以外は全てNDAの元で非公開に行われていたが、 2014年からは技術セッションの内容も即日一般公開されるようになった。 基調講演はアップルのCEOと幹部、及びゲスト出演者による。 主にmacOS (macOS Server) およびiOSのソフトウェア開発者向けのイベントで有料である(学生は無料)。 参加者の多くはプログラマやシステムエンジニア、システムアドミニストレータ。

【movie】有名メディアがとりあげたSteve Jobs

Steve Jobs: How a Dreamer Changed the World by Bloomberg
Steve Jobs - Think Different (Documentary)
iGenius How Steve Jobs Changed The World
Steve Jobs pitches iPad on Dragons' Den - 2010
Steve Jobs talks about managing people